大好評でした!田尻洋一さんの火曜サロン第2回「ショパンVSリスト」

田尻さんは、根っからの「晴れ男」だと思います。2006年、サロンのこけら落としの日の天気予報は「台風上陸」。でも、予報を大きく裏切って朝から快晴でした。田尻さんのコンサートで雨が降ったことは今までに一度もありません。この日の火曜サロンも初夏を思わせる美しい朝にスタートです。

今日のテーマは「ショパンVSリスト」。このあまりにも有名な二人の作曲家も、田尻さんのフィルターを通して見ると、心を尽くし傷つき迷い精一杯生きた二人の人間像が浮き彫りに。。。リストはその時代のスーパースター。才能をフルに活用し、心の赴くままにスキャンダラスに生きた人でした。でも、その破格のパワーと財力は己の為だけに費やされたのではありません。ワーグナーをはじめとする名だたる音楽家に、これまた破格の援助をし、挙句、命まで救ったこともあるのです。対するショパンは生涯、なんと10回程度しか公開演奏会を開いたことがなかったとか。彼はリストと違い、人に囲まれたり積極的に才能を披露したりすることが苦手でした。そしてこの全く正反対の性格をもつ二人のそれぞれの苦悩、そして音楽・・・。

田尻さんの演奏を聴いていると、それは紛れもなく田尻さんの音楽なのですが、不思議と彼の主張とかこだわりとか、技術の粋みたいなものが私たちに押し寄せて来る事がありません。もっと透明で、『個性』というような個人的な枠を排除したもの・・・。ただただ不純物をろ過し終わった音楽だけがそこに存在していて、私たち聴き手にその中で自由に思いを馳せることを許してくれる・・・。そんな感じがしました。聴き手を楽にさせてくれる。演奏者ではなく聴き手側を個性を持った個人に戻してくれる、そんな不思議な魅力があると、この日再確認しました。

以前、興福寺の阿修羅像が一般公開された際に、友人と、「なぜ阿修羅像はあれほどまでに素晴らしいのか」と言うことを話したことがあります。で、私たちのつたないながらも考えた結論は、「作品に作者の名前が書かれていないからではないか」と言うことでした。作品に自分の名前を書くと、どうしても上手く作りたい、少しでも名前を上げる作品にしたいという欲がでてしまう、でも作品に名前を入れないと決めていたらどうなるか、自我が消えて、そこから初めて作品そのものとの純粋な対話が始まるのではないか・・・。

そんな事を、田尻さんの佇まいと重ねて聴き入ってしまった90分でした。
最後に、普段は「音楽のことなんて全然知りませーん」と言ってはばからない某スタッフの一言。
「いやー、面白かったわー。ショパンもリストも人間やってんねー。これはもう是非ともクラシックに興味のない人にこそ参加して欲しいわー!」・・・だそうです(笑)。


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